それだったらいいよ

 理科の時間。
 水が何度で沸騰するのかを観察する実験が始まります。
 ガスコンロから火がボーボーと出ていて、フラスコに入った温度計の値がすこ~しずつ上がっていき、フラスコに入った水からプクプクと気泡が出てきます。
 動くものに満ち溢れ、何が起こるのかワクワクするこの状況。誰よりもじ~っと見つめていたのは、ストカールさんです。
 コンロの温度調整を少し触ってみたり、温度計を少し触ってみたり、気になって触ってみたいストカールさん。
 ただ同じ班の友達にとっては、じっくり観察したいのであんまり動かしてほしくありません。
「触らんで。」
 友達からの注意が入ります。
 ストカールさんもあまり触らない方がいいことは分かっているので、手を引っ込めます。しかししばらくすると、す~っと手が伸びて温度計をツンツン。
 「触らんでって言ったじゃん!」
 友達からの注意が入ります。
 ストカールさんは眉間にしわを寄せて手を引っ込めます。でもやっぱり触りたくなります。
「もう本当にやめてよ!」
「触らないで!」
 周りの友達とストカールさんの間にピリピリした空気が流れます。
 その時、ストカールさんが触る温度計の目盛りが友達の方に向きました。たまたま温度計が向いたのか、本人が意識して向けたのかはわかりません。

 すると友達から
「あ~、それだったらいいよ!それだったらいい!見える見える。むしろありがとう!」
 まさかの感謝。
 私だったら触っていることに対してそのまま注意していたかもしれません。
 それを聞いたストカールさんはというと、注意をされていないのに不思議と手をすっと引っ込めて、友達と一緒に観察をし始めました。

 「触る」ことを、やめてほしい行動という捉えから、「それだったらいいよ」と意味づけを転換できるのはすごいなと思います。友達がストカールさんのことをよく理解していることが伺えます。
 今の世の中、人のイヤな面が見えると、すぐさまその人全体への否定・批判につながってしまう厳しさがあることを思うと、意味付けを軽やかに変えていく「それだったらいいよ」にはなんだか救われる気持ちになります。ストカールさんもたぶん似たような気持ちだったと思います。なぜなら注意をされることによってではなく、「それだったらいいよ」による受け止めによって、彼は自分で温度計から手を離したように思えるからです。

(りょうた)

子ども達と作ったトンカツです。*内容とは関係ないです

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