重みのある日常

 いつものように虫取り網を持ってやってきたケンちゃん。この日は同じ虫好きのユウくんがお休みでした。

 ケンちゃんは「は~・・・。ユウくんがいない・・・。」とげんなりしていました。

 スタッフと一緒に虫探しに出かけましたが、友達がいないことがショック過ぎるようで「なんでいないの~。つまんな~い。」と繰り返しぼやいていました。普段の様子からは気づきにくいのですが、この日はケンちゃんの友達を欲する思いがあふれ出ていました。彼は、単に同じ言葉を発するだけにとどまりません。豊かな言い回しを使って表現されていくのです。

 ケンちゃんがつぶやきます。

「ユウくんがいなかったら、ほどきはただの家じゃん。」

 どうやらほどきは「ただの家」ではないようです。「ただの家」以上の何かがあるようです。

 でも確かに考えてみると、ほどきにやってくる子ども達は、ほどきという場所(家)に行くという何気ない営みの中に、私達が思っている以上の重みを持ってやってきます。年の近い友達がほしい、外に出かけられる場所がほしい、他では言えない悩みを聞いてほしい、好きなことを受け止めてほしい、一緒にご飯が食べたい。様々な背景のある子ども達にとって、それら1つ1つがとても貴重で価値あるものなのだと気付かされます。講演会の関係で福祉について考えることが多いのですが、福祉の正念場って、こうした子どもの重みを感じ取れるかどうかにかかっているんだろうなと思います。

 またケンちゃんがつぶやきます。

「はぁ、今日ほどきに来る時に、いつもと違う道から来たから、ユウくんが来なかったんかもしれん。まるでくじ引きみたいじゃん。」

 そんなことある!?すごい理屈やな!

 まあ気持ちは分からんでもないな。たまたま違う道を選んだ日に、たまたま友達が休みってなると、何かスピリチュアル的な、因果のあるつながりを感じざるをえないですよね。まさに運要素のあるくじ引きです。

 どうしようもない気持ちを抱えて歩き続けていた帰り道に、お地蔵さんを見つけました。

「お祈りしよう。」

 ケンちゃんは迷わず言いました。

「来週はユウくんが来ますように。」

 私達は祈りました。ユウくんと虫捕りをするという気にも留めないほどいつも通りの日常、重みのある日常を思い浮かべながら。

(りょうた)

外で火を焚いて、アジを焼いて食べました。

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