遊びのルール≒みんなが一緒
はじめに、、、、、
これは私が子どもの頃の話ですが、ある日地区の子供会の行事で公民館に行くと、テーブルにはお菓子が盛られたお皿がありました。みんなが揃うのを待つ間隣の友達としゃべっていてついお菓子を一口食べてしまったのです。周りから「えー!まだ始まってないのに。」と言われ”しまった(-_-;)失敗してしまった”と思いました。その日は気が気でない感じであまり楽しめずに終わった記憶があります。今でも失敗談として心に残っています。大人になった今ならあの時のことを主催者の合図を待たないといけない、例え「さあ食べて!」と言わんばかりに目の前にお菓子があったとしても我慢がまん。世の中の暗黙のルールを学んだ経験だったなあと思えます。
さて、ある日のプール遊びでの出来事です。プールに最後まで残り、ビー玉とおはじきを拾う宝探しを楽しんでいた二人の女の子がいました。何回か数人で楽しんできた遊びで、拾ったビー玉やおはじきを一人が一つのカップに入れていき、最後に数を数えて多い方が勝ちというルールでした。このときは黄色と青のカップにそれぞれが見つけた宝物を入れるつもりでゲームを始めました。青のカップに自分の拾ったビー玉とおはじきを入れるはずの女の子が、青いカップにはおはじきを入れ、(自分のではない)黄色のカップにもビー玉を入れようとしていました。”カップの色がちゃんと伝わってなかったかな”と思いもう一度説明をしました。その女の子は手の中にあった宝物を見せて、「だってこれはビー玉で、こっちはおはじきだよ?」と不思議そうな顔で私を見つめました。
カップの色分けが伝わってなかったのではないのです。彼女はビー玉とおはじきを分けて入れたかったからそうしたのです。黄色のカップに自分が拾った宝物を入れていた女の子も、「あれ?これ私のだよ?」と言っていました。【ビー玉とおはじきを分けて入れたい】気持ちを私は”なるほど!”と思いました。
そして彼女の分だけは、ビー玉とおはじきを分けて入れられるように、青とピンクの2つのカップを見せて、青にはおはじき、ピンクにはビー玉を入れることを一緒に決めました。そのあと笑顔が戻り宝探しを楽しみ、プール遊びを終えました。
何回か経験したからその遊びのやり方はみんな一緒かと言えば、そんなことはないですね~。自分のやり方、マイルールを持っていることってとっても素敵です。より遊びが盛り上がることもあります。ただそれを受け入れて認めてくれる人がいて、自分の思いが間違いだと諦めたり落ち込んだりせずに臆することなく言える場所があることが大切なのです。
人は周りの意見に敏感で、そこに当てはまらなかった自分の行動を失敗と捉えてしまうことがあります。でも言ってみたら「なんだそういうことか!」と受け入れられたり、「そのやり方も面白いね」と言ってもらえたりすることだってあります。そしたら、自分って結構すごい!と前向きになれるんじゃないかなと思います。傷付きそうになった時、落ち込んだ時、周りの力が自分の思いを変えてくれることもあるかもしれません。そんな人と出会えるかもしれません。失敗を恐れず、少し勇気を出して、自分の思いを伝えてみよう。未来の自分が、その経験をひきずることなく、力に変えて前を向いていられるように。
(とりかい)