はっきりした線と曖昧な線 ~「支援」「利用」を考える~
日曜日の夕方。休業日。
ほどきの2階で作業をしていると、「ガラガラ~」と玄関の開く音がする。
下に降りてみると、男の子2人組がニヤニヤしながらこちらを見ている。
毎週ほどきに来ている仲良し中学生だ。
「お~!誰かと思ったわ~。2人で遊んどったん?」
「うん(笑)」
「1日遊んどったの?」
「いや、昼から(笑)」
「そうか。何して遊んでたん?」
「ゲーム(笑)」
「好きやな~、ゲーム。まあ上がってお菓子でも食べる?」
「はい、じゃあ(笑)」
その後も学校の話など雑談をしながら30分ほどまったりする。
そうこうしているうちに6時の鐘が鳴ったので2人は自転車に乗って帰っていった。
放課後等デイサービスを代表とする制度は、子ども(保護者)とスタッフの間に線を引く。支援される人/支援する人。利用する人/利用される人。線を引くことでお互いに無理のない形で「支援」や「利用」が成り立つ面がある。確かに線をしっかり引けば引くほどお互いのことを守ることはできる。しかしながら線は曖昧にも引けることを忘れてしまいやすい。支援する人は支援されることもあるし、支援される人が支援する場面もある。また開かれた地域の場も目指しているほどきのとっとを考えた時、どちらが利用者なのかわからなくなってくる。
私と子どもの間には、「支援」や「利用」という名の線が引かれている。しかし子どもは簡単に曖昧な線を引くことができる。先ほどの2人組は決められた利用時間に来所するだけでなく、近所にある場所にふらっとやってきてただ話すことで、近所にいる人同士で出会うという曖昧な線を引いているんだろう。
別の日の土曜日。
仕事が終わって一息ついた時、電話が鳴る。
「まえおか~。」
ストカールくんだ。
「なんでしょう?」
「日曜遊べる~?」
友達か(笑)
明日は難しいからまた他の日に誘って。
日曜の遊びの電話は、気持ちはよくわかる。
でも彼のすごいところは、放デイを使う日の朝に電話がかかってくる時に垣間見える。
「まえおか~。」
「なに~」
「今日1時から行くけえ」
「うん、わかった。待ってる。」
「なあ、今日魚捕るけえ」
「わかった。捕りに行こうな。」
「なあ、なにしとる~?」
「今、いろいろ仕事してる。」
「なあ・・・今日2時から?」
だから1時言うとるや~ん!(笑)
そしていつも1時や~ん!(笑)
仕事をしなきゃなぁと思う気持ちはありながらも、でもこういう電話も案外悪くない。この電話は時間や活動の確認をしているようで、もっと大事なことを確認しているように思う。それは支援される人/支援する人というはっきりした線ではなく、ストカールくんとまえおかという2人の間にある曖昧な線を確認しているのだろう。彼の電話を取るときは、いつもそう思うようにしている。
(りょうた)