「できない」から始まる想像と創造

 お隣さんから枝豆をもらいました。

 いつも新鮮な野菜や果物を分けてもらっていてありがたいです。

 子ども達と一緒に食べたいなと思ったので、枝豆を水でゆすいで机の上に出しました。どれどれ、味見してみようかなと枝豆を口に入れると、

「固!これ固いな!」

 なかなか中の豆が出てきません。

 一生懸命枝豆を食べようと格闘していると、そばにいたスタッフが一言。

「茹でたんですか?」

「え・・・・・・茹でてない・・・枝豆って茹でるの?」

 周りのスタッフは「えー!」と大爆笑。

 さあみなさん。どれだけ私が料理をしていないか、よ~くわかりますね。

 枝豆って茹でるんですね!いや~、まだまだ世界は奥が深いですな。

 面白いことにリアクションはいろいろでした。

「知らなかったんですかー?(笑)このまま食べるってヤバいですね(笑)」

 ほんまに素で知らんかった。

「いや、でも枝豆を普通に出されても茹でてるって気づかないですよね」

 そうなんよ、気づかんもんなんよ。

「食べれるのかな?(頑張って豆を食べた)・・・あ!しょっぱい!塩入れてないのになんでだろう。水につけたからかな?」

 いや、結局そのまま食べるんかい(笑)

 「枝豆は茹でる」という「普通」のことを知らず、枝豆をそのまま出してしまった私。茹でた枝豆を出せなかったというできなさに対する周りのリアクションは、私にとっては示唆に富むものでした。なぜなら子どもの勉強や運動などの「できない」ことをどのように捉えるかという実践的な問いと重なったからです。

 最初のリアクションはよくありますよね。ここではその次の2つのリアクションを取り上げることで、「できない」に対する2つのアプローチを考えていきます。

 1つは「「できない」の奥にある思いを想像する」ということです。枝豆を茹でることを知らなかったという事実の奥にある私の思いを想像したからこそ、「枝豆を茹でていることは気づきにくいよね」と出てきたんだろうと思います。私にとっては「わかろうとしてもらえている」という嬉しさがありました(もちろん周りが考える思いと実際の本人の思いが違うことがあるので決めつけは危険な側面がありますが、少なくともどんな思いなんだろうと柔軟に想像する姿勢は大事かなと思います。)

 大学院時代の指導教員だった赤木さんが執筆した「子育てのノロイをほぐしましょう」という本の中に面白いエピソードがあります。学校で「18+3」に悩む子どもを見た先生が、「21」を答えられるようにヒントを出すのではなく、こう言ったそうです。

「よう考えてるなぁ。」

 秀逸ですね。正解を答えられるかどうかではなく、その先にある「難しいなぁ」「どうしたらいいんだろう」という子どもの思いを先生は想像していたのでしょう。

 もう1つは「「できない」の次の展開を創造する」ということです。茹でなかった枝豆を出発点にして、「普通は」食べないんだけど固いけど食べられるじゃん!という発見をし、さらにそのままの枝豆でもしょっぱさを含んでいるという(謎?)発見もできました。このように「できない」から次の新しい展開を創造していくことで、「できない(茹でなかった)」ということがどうでもよくなってきますし(そこまで気にするものにならない)、むしろ「できない」がそこまで悪くなかったようにも思えてきます。すると自然と「できない」に対する私達の見え方も柔らかく変わっていくのではないでしょうか。

 皆さんも一度、枝豆をそのまま食べてみてください。何か新しい発見があるかもしれませんよ。いやないかも。

枝豆の写真がなかったので、とあるスタッフの誕生日の時にクックパッドを見ながら必死に作ったお昼ごはんの写真を載せておきます。全部作ったと言いたいところですが、私が作ったのは右のパスタで、他は別のスタッフが作ってくれました。

(りょうた)

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