学校での鼻ほじり

 小学校に行ってきました。

 支援級のけいすけくん(仮名)は、3月まで不安が強く、学校への行き渋りが激しい子でした。交流級もほとんど入れなかったけいすけくんが、今はなぜか自分から交流級に行けるようになっているようでした。理由はよくはっきりしておらず、私は不思議に思いながらも様子を見に行くことになりました。

 クラスをのぞいてみると、確かに交流級に入って給食を食べている彼の姿がありました。

 去年のことを想像すると、驚くべき変化です。

 クラスの様子は、特に変わったところはなく、コロナ対策のために黙って食べる「黙食」中で、食器音だけが聞こえる静けさでした。

 今となっては当たり前の黙食ですが、子ども達は友達と話をしながら楽しく食べたい気持ちと、コロナから身を守るために黙って食べようという思いとの間で、もどかしさを感じているんじゃないかなぁと思います。コロナが教育に与えた影響の大きさを改めて実感しました。

 多くの子ども達が給食を食べてマスクもつけ終わったころ、私は衝撃的な光景を目撃したのです。

 なんと前に座っていた先生が、みんなに見せびらかすように鼻に人差し指を大きくつっこむと、、、

 鼻をほじるほじる!

 ほじるほじる!

 それはそれは堂々たる鼻ほじり!

 もう何も恐れるものはないほどに。

 いや、よく見ると、顔の角度を調整して鼻をほじっているように見せかけていました。見せかけるのが上手で本当に鼻をほじっているようでした。

 子ども達はというとクスクス笑い出し、「せんせい~(笑)」と和やかな笑いに包まれました。

 けいすけくんはというと、先生の方をじっと見つめて満面の笑みでした。

 その時、私は彼が交流級に入りたくなる気持ちが少しわかった気がしました。

 (見せかけの)鼻ほじりを通して見えてくるのは、「頑張りのすき間に挟まる気楽さ」です。給食中は「好き嫌いせずに食べる」「完食をする」だけでなく、コロナの関係もあり「マスクをする」「黙って食べる」というように頑張ることが増えてきています。心に余裕がある時は頑張れるのですが、心が頑張ろうとする気持ちで埋め尽くされると頑張れなくなりやすいです。反対に、鼻ほじりは頑張ることからはかけ離れた象徴であり、そしてなんだか笑えてきます。また先生が鼻ほじりをやってみることにより、「先生」と「鼻ほじり」のギャップで余計に笑えてくるのでしょう。

 私は給食が終わると、一目散に先生のところへ行き、話を聞いてみました。先生は4月からこのクラスを持って、これまで何か特別なことをしたわけではないけれど、なぜかけいすけくんが交流級に入れて、笑顔が増えてきたとのことでした。特別なことをしなくていいほど、先生の子ども観は給食時間以外でも自然と生活の節々に表れているんだろうと思います。その先生の子ども観の中身とは「頑張ることのすき間に頑張らない気楽さを挟んでおくこと」のような気がします。けいすけくんが安心感を持って交流級で頑張れる理由の1つは、ここにありそうです。矛盾するようですが、頑張りを応援するためには、頑張らなさを保障することが必要なのかもしれませんね。

(りょうた)