やっぱり先生ってすごい。

 ほどきのとっとでの活動も面白いですが、学校へ訪問した時に見えてくる風景もまた面白いものがあります。

 

 中学校の支援学級に在籍するゆうせいくん(仮名)のお話です。

 当時、彼は勉強ができないことによる劣等感を強く感じ、学校に行くことを嫌がっている時期でした。

 テストの結果が出されると、家に帰って「俺はバカだ!」と泣きながら自分の頭を叩くほどでした。

 訪問では体育の授業を見学させてもらいました。

 その時はバスケットボールをしていて、先生とゆうせいくんが1対1で攻撃と守備を交代しながら得点を競っていました。

 ゆうせいくんは笑顔を見せながら穏やかな雰囲気で動いていました。

 先生はドリブルやフェイントを用いながら多様な攻撃をしており、さすが体育の先生という感じです。

 一方ゆうせいくんは、ドリブルをせずに3ポイントシュートのラインからゴールに背を向けて、ボールを思いっきり高く上げてゴールを狙っていました。

 絶対入らんやん。

 想像してもらえればわかりますが、3ポイントシュートラインという遠いところから、ゴールを見ずに後ろ向きのウルトラスーパーシュートなんて、まあ~~~入りません。

 しかし本人はニヤニヤしながら攻撃のたびに何度もそのシュートを打っていました。

 ゆうせいくんはよくふざけるので、今回もそのたぐいなのでしょう。

 先生、注意するんかなあ。

 しかし私の予想に反して、先生はシュートの仕方自体については何の指摘もせずに、穏やかな雰囲気で続けています。

 なんで何も注意しないんだろう?

 これまで注意し続けて言うこと聞かなかったから諦めたのか?

 どうなんだろう。

 そこで授業終わりに、先生に直撃してみました。

 先生は穏やかに答えてくれました。

 「バスケの授業を始めた当初、たまたま後ろ向きのシュートが入ったんですよね。それが嬉しくて今もやってるんだと思います。」

 そんなことがあったのかあ。

 でも、後ろ向きシュートのまま続けていていいのかな。

 続けて先生に疑問をぶつけてみました。

 するとこのような返事が返ってきました。

 「やっていくうちにシュートが入らないことに気づいて、違うシュートを打ってくれたらと思ってます。」

 子どもの理屈を見る

 この出来事から、2つのことに気づかされました。

 1つ目は、「子どもの理屈を見る」ということです。

 後ろ向きシュートを見て私が思ったことは、「単なるふざけ」でした。

 しかし先生から見ると、前にたまたま入って嬉しかったシュートをもう1度成功させたい姿に映ったようです。

 確かに後ろ向きシュートというウルトラスーパーシュートをたまたまでも入れることができたら、そりゃあもう1回やってみたいのも頷けます。

 先生の言葉によって、私の彼に対する見方が「ふざけている」から「わかるわかる」に変わっていました。

 子どもの行動の良し悪しを判断することだけでなく、そこから少し距離を取って子どもなりの理屈を見てみることで、視野を広げて考えられるきっかけになるかもしれません。

 

 子どもの理屈に先生の理屈をくぐらせる  

 2つ目に、「子どもの理屈に先生の理屈をくぐらせる」ことです。

 先生はゆうせいくんのシュートの仕方を直そうとはしませんでした。

 「後ろ向きシュートはやめよう!」と言って新しいシュートを教えることもできたはずです。

 先生の言葉にもあったように、違うシュートを打ってほしいと思う部分もありました。

 なぜ彼のシュートを直さなかったのでしょうか。

 私が思うに、まずは彼の後ろ向きシュートをやりたい今の思いに納得できたからでしょう。

 そして彼のこれまでの経緯や今のしんどさもわかっていたからでしょう(実際、先生は彼のことをよく知っています)。

 その上で、彼自身が違うシュートに変えようとすることを期待できるだけの彼への根本的信頼や教師としての経験的直観があったために、あえて何も言わなかったのだと思います。

 急いで断っておきますが、単に何も言わない教育が素晴らしいという話ではありません。

 何も言わないという選択に至ったプロセスや何も言わないことに込められた教育的願いに学ぶことがあるような気がするのです。

 子どもの理屈を認めつつ、そこにうま~く先生の理屈をくぐらせているなあと思いました。

 やっぱり先生ってすごいなあ。

(りょうた)

 

 

 

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