1年を終えた着地点~前編~

 ほどきのとっとがオープンして1年が経ちました。

 今回はこの1年を振り返り、私達が何をしてきたのか、何を大事にしてきたのかを確認していきたいと思います。日々の実践はいつも手探り状態。ましてやほどきのとっとは、あらゆることを1から作ってきた場所なので、わからないというぼんやりした不安感に常につきまとわれながら、それでも少しずつ実践を積み重ねてきました。ようやく1年という積み重ねができた今、わからなさの中に「わかる」という小さな感覚が出てきたような気がします。その感覚を言葉にしていきながら、次の2年目に向けた指針としたいと思います。

 ほどきのとっとができるまで

 この1年を振り返る前に、ほどきのとっとができた経緯をたどっていきましょう。私が大学院在学中、研究を進めたり学校現場に入っていく中で、学校に適応できずに苦しんでいる子ども達を見聞きしてきました。例えば「相手の目を見て笑顔で挨拶をしましょう」「良い姿勢で勉強しましょう」「この宿題を明日までにやってきましょう」ということができない子どもです。現状としても、この少子化の時代に不登校の子どもの数・割合ともに増え続けています。

 学校に適応できない子どもがいる時、どのような支援を考えていけば良いでしょうか?1つは、「適応できない」ならば「適応できる」ようにするという考え方です。学校集団の中には自分とは違う様々な人がいるわけで、ある程度は適応する必要があります。今の教育や療育でも、「ユニバーサルデザイン(UD)」や「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」を始めとして子どもに適応できるようにする支援で溢れています。そのような支援を受けて学校に戻ることができる子どもも確かにいる一方で、どれだけ頑張ってもどうしても学校に適応できない子どもも出てきます。適応できなかった子どもは、適応できない今の自分を否定してしまい、自分を認められずに苦しんでいるケースが少なくありません。この場合、子どもは適応できない苦しさと、適応できない自分を否定してしまう苦しさと2重の苦しさを味わうことになります。

 一概に良い悪いとは言い切れない「適応できる」ようにすることに対し、もう1つの考え方としてフリースクールなど適応を求められることが少ない場所に行くという意見もあるでしょう。もちろん少なくない子ども達が自分らしくいられる場所ではあると思います。ただ今後も同じように学校へ適応できずに苦しむ子ども達が出てくる可能性は十分あります。

 そこでさらに別の考え方として、適応させようとしているそもそもの基準を見直す、つまり学校集団の在り方を柔軟にすることも必要になってくると思われます。適応できない子どもも入っていけるような集団の在り方を作っていくことが、適応を求めすぎる風潮にゆっくりとブレーキをかけ、自己否定を続けてしまう子どもの苦しさを和らげていくでしょう。そこで、適応を求める基準である「こうあるべき」という考えを広い意味での「学び」と捉えて、その「学び」を問い直す実践を『「学び」をほどく』と名付け、会社の名前も『ほどく』にちなんで『ほどきのとっと』にしました。

 ほどきのとっとの役割

 ではほどきのとっとの歩みを振り返っていきましょう。ほどきのとっとでは学校に行けない、または学校の中でしんどさを感じている子ども達が多く来ています。子ども達の様子を見てみると、適応する力がないというより、むしろ過度に適応しようとするために適応が困難になっていることがわかってきました。「少しでも学校に行けたらすごい」「お絵描きをする時は100点の絵を描かないといけない」「1番じゃないといけない」。私達の多くがどこかで思ってしまう、学校に行くのが良いことであったり、他の人と比べて点数や評価が優れているのが良いことであるかのような「こうあるべき」という「学び」を人一倍身につけてしまっているのです。すると子ども達は「学校に行けてない自分はダメだ」「100点の絵を書けなかった自分はダメだ」「1番になれなかった自分はダメだ」と自分を否定してしんどくなるのです。そしてそれは子どもだけの問題ではなく、実は私達が作り出している社会の写しなんだろうなあとこれまでの私の生きづらさと重ね合わせながら実感しています。

 こうした子ども達を巡って、ほどきのとっとの果たしてきた役割は2つあります。1つ目は「子どもの居場所を作る」ことです。学校に適応できずに自己否定をしてしまう心をケアして、自分の興味・関心のあることが「いいじゃん!」と認められながら、他と比較しようのない自分らしさを取り戻していく場を目指してきました。「ほどきのとっと」と名付けられたのは、安心できて気持ちがほどかれることから来ているんじゃないかと考えてくれる方がいますが、子どもの居場所づくりという意味では、「気持ちをほどく」も間違いではないかもしれないと思っています。

 2つ目は「社会と変わる」ことです。子どものしんどさはどこから来るのかを学校や幼稚園の先生や保護者と話し合いながら、ほどきのとっと以外でその子らしさが発揮できる場の作り方を探ってきました。その一方で今の社会のありようを考えると「子どもにこんな力をつけてほしいなぁ」「ここはうまく適応してほしいなぁ」という気持ちも出てきます。学校を含む社会に生きる人達と一緒に「自分らしさ(ありのまま)」と「適応」の板挟みになって悩むことで、気がつくと「こうあるべき」という「学び」がほどかれるという経験を積み重ねてきた気がします。『社会「と」変わる』としているのは、ほどきのとっとも同じように悩み、そして「学び」がほどかれることで変わってきたからです。この「ほどく」の意味こそ、ほどきのとっとの設立時から大切にしてきたことですね。

 では『「学び」をほどく』実践とは具体的にどんなものなのか?「こうあるべき」が緩まる上で大切なことは何なのか?学校や園の先生がどのように踏ん張ってきて、ほどきのとっとのスタッフがどのように粘ってきたのか?それはそれでまた文章が長くなりそうなので、次回の後編に持ち越したいと思います。

(りょうた)