ストカールさんの靴
久しぶりにストカールさんの話をします。(ストカールさん:ストレートで強すぎる言葉や行動の中にも、それらを和らげたりユーモラスな表現に変える姿が見られる子です。その姿を髪型になぞらえて、真っすぐなストレートさに曲がったカールがかかるとして、「ストカール」さんと呼んでいます。)
4月から中学生になったストカールさんは、中学生という意識があるのか、小学生時代とはまた一味違う姿を見せてくれています。例えば、中学に入るお祝いで靴屋さんで靴を買ってもらうと、靴磨きをするほど大事に履いているのです。ストカールさんにとって、物は手段的・道具的に捉えられていたと思われます。例えば、魚を捕るため、イライラを発散するためなど、何かの目的を達成するために用いられていました。
しかし、買ってもらった靴は、歩くための手段・道具に加えて、靴それ自体が目的となりうるような価値を感じていたのです。お母さん曰く、靴屋さんに行った時には、驚いたことに彼なりに好きなデザインがあったようなのです。ぴったりと合う足のサイズも見ながら、時間をかけていろいろと探し回り、ようやく水色のランニングシューズを見つけ、「俺が見つけたんだで!」と満足気だったそうです。そして帰ってからも、部屋に持って入って紐を直したり、靴を揃えたりして、外で履いた後でさえも部屋の中に持って入り、揃えて置いておくほどでした。相当なお気に入り具合です。
1回だけその靴でほどきに来た時がありまして、バドミントンをしてちょっとよごれただけで、「よごれるが~!」と急に外にあった蛇口のところで靴を洗い始めたのです。
それはそれは、全然ストカールさんらしくなかったのです。
これまでにもお菓子や釣り竿など、「買ってほしい!」となることはよくあったのですが、これほど物に対して思い入れがあったことはなかったように思います。ストカールさんの一足の靴には、自分がお気に入りのものを選んだことだけでなく、中学生という成長した自分を感じたり、中学校で頑張ろうと意気込んだり、家族からの応援を心に留めたりすることをひっくるめて、とてつもなく大きな価値を感じているのでしょう。ちなみに小学校を卒業してしばらくは、学校の近くを通ると、これまた珍しく「あ~、さびし~」と呟いていました。
もう少し考えてみると、こうした物の捉え方の変化には、人との関係の中で育つ彼の発達が関係しているように思います。今だけでなく、過去や未来における自分を認識する(時間的に拡張された自己とも呼ばれます)時期だからこそ、成長した自分を実感したり、未来の自分に期待が持てるのでしょうし、そんな立体的な自分を感じられるような、友達や家族など周りの人達の関わりやつながり(出来事)に支えられているのだと思います。単に「お気に入りの靴」では収まらない、時間的・関係的な広がりを持った価値ある自分と重ね合わせた靴だったのでしょう。学校では友達や先生との衝突があるようですが、新しいつながりを作りたいことの裏返しだと思うので、その支えをどうしていくのか、これからも考え続けたいと思います。
(りょうた)



