表札が完成!したけど・・・
「ほどきのとっとがどこにあるかわかりませんでした」という声をよく聞きます。確かに奥まったところにありますし、看板だけでなく表札すらないので、わかりにくいです。
そんな時、中学生の男の子が,「表札作ってあげるよ!」と言ってくれました。私は「お~、これで場所がわかりやすくなるかも!」と期待していました。
しばらくして、彼が「できたよ!」と言って、見せてくれたのが下の写真です。

「表札なのに名前がちっちゃく端によっとるやん・・・普通、真ん中ちゃうんかい(笑)!」
この表札は名前がメインなのか、バックの絵がメインなのかよくわかりません。
表札なのに表札に見えない(笑)。場所がわかりやすくなるために書いたのに、わかりやすさはあまり重視されず(笑)。
私の中にある「表札」を彼にいとも簡単に乗り越えられ、私はあっけにとられた後に、思わず笑ってしまいました。表札でこんな発想できんわ~と一本取られました。
その一方で、彼がいろいろな前提を簡単に乗り越えてしまうからこそ、前提を乗り越えることが許されない空気感に触れた時に、彼がしんどくなり、周りの人々もしんどくなってしまうのだろうと想像されます。
もちろん全てにおいて言えないと思いますが、私にはなかった「普通」や「当たり前」として面白がることが、私の「普通」や「当たり前」に余白を生み、私と彼がゆるくつながる可能性を広げるように思います。たぶんそれは、私と彼、そしてこの社会に生きる他の人が生きやすくなる瞬間でもあります。
よく「共感しましょう」って言われますが、彼の表札は共感しにくいです。共感はしにくいですが、なんだか笑えてくるところに共感とは別の、人とのつながり方(ほどき方)があると思っています。
今日も彼の表札を掲げてますので、ほどきのとっとに来られる際は、この表札を目指して(探して)お越しください。
(りょうた)

