遊びの手段が目的になる時

 18歳のかいちゃんは、走ることにはまっています。

 ほどきの目の前にワイナリーがあり、一面に広がるブドウ畑の側をひたすら走ります。

 走る。走る。ただ走るだけ。その走るという動きの中にも、実は様々な感覚や楽しさが味わえることを、かいちゃんはよく知っているのです。

 彼の走っている様子を見ていると、走ることによって体を動かしたり、風が当たる感覚が心地良いんだろうなと思います。しばらくすると、走っている途中で、首を振ることがあります。試しに私も一緒に首を振ってみると、前を向いて走る世界とは違って、視界の揺れ方や風の当たり方、体の疲れ方などが変わってきます。少し酔いそうでしたが、普段は自覚されない体の感覚が呼び起こされる体験で、ある種気持ち良く感じられました。また上を向きながら首を振るのと、下を向きながら首を振るのでも、感じる世界が全く違ってきます。

 並走していたかいちゃんが少しずつ前を走っていくので、私が「待って~」と声をかけると、振り返るなり笑顔で「待って~~(笑)」と言って、全然待ってくれることなく走り続けます。ただ追いかけっこのようにはならず、私が彼に追いついても、あくまで自分のペースで走ります。ただ「待って~」と言い、「待って~~」と返すやり取りが、走ることをさらに楽しくさせてくれます。

 かいちゃんと過ごしていると、走ることの奥深さを教えてもらっているような気持ちになります。ほどきの活動では、「おにごっこをするために走る」「サッカーをするために走る」など、「走る」は遊びの手段となることがほとんどでした。

 しかし「走る」を遊びの目的とする、つまり「走る」自体が主たる遊びとなる時、走ることの感覚的な心地良さに気づくことができるでしょう。また走り方を変えた「走る」、誰かと言葉の掛け合いをして「走る」など、「走る」を手段とする遊びにとどまらず、遊びの幅がより広がっていきます。

 遊びの手段を目的に転換する視点は、これからのほどきの遊びをさらに面白いものにしてくれるんじゃないかなと思います。

(りょうた)

久しぶりのまかない写真

前の記事

ストカールな日常

次の記事

遊びがつながる